TOPペルソナスクエア棚橋弘季(株式会社イード ) ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜(1-1.近代デザインが描いた未来のライフスタイル)

ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜(1-1.近代デザインが描いた未来のライフスタイル)

棚橋弘季(株式会社イード )
2008年05月01日

 前回からはじまった、この連載「ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜」。今回からはじまる第1章では、連載のテーマとして挙げた2つのうちの1つ目のテーマである「ライフスタイルの提案というデザインの役割」について、これまでのデザインの歴史を顧みつつ考察していきます。まず今回は、19世紀末から20世紀の前半にかけて伝統にとらわれない斬新なデザインで新たな生活様式を提案した近代デザインが何を目指し、具体的に何を行ったのかを概観してみようと思います。

■『デザイニング・フォー・ドリーム』

 『デザイニング・フォー・ドリーム』。1956年にGMが製作したこのフィルムには、こぎれいなドレスを着た主婦がキッチンで仕事をしたり、ファイアーバードに乗って夫婦でドライブしたりする、昔のアメリカのホームドラマに見られるお決まりのライフスタイルの原型を見出すことができるといいます。
 近代デザイン史の研究者・柏木博さんは著書『20世紀はどのようにデザインされたか』のなかで紹介している、この『デザイニング・フォー・ドリーム』というスポンサード・フィルムは、GMが1956年に開催した自動車ショー「モートラマ」用に製作し、会場で公開したものです。このフィルムのなかでGMは、電子的に制御される全自動キッチンや、ハイウエイを走る全自動自動車ファイアーバードのイメージを、アメリカのあるべき未来生活として描いています。タイトルどおり、夢のライフスタイルの設計案をGMはこのフィルムを通じて提案したのです。当時、GMはこうしたモーターショーを毎年開催して、クルマだけではなく消費社会の生活スタイル全般の提案を行っていたということです。

 もちろん、映像を通じて商品の利用シーンの提案を行うこと自体は、今日ではすこしもめずらしいことではありません。むしろ『デザイニング・フォー・ドリーム』が特筆すべき点は、新しいライフスタイルの創出をデザインされたイメージを映像として展開することで可能であることを証明した点にあるといえます。
 柏木さんは「このフィルムでは、キッチンでこぎれいなドレスを着た主婦が仕事をしたり、夫婦でファイアーバードに乗ってドライブするシーンなどが描かれている。その生活様式のイメージこそ、50年代半ばから60年代半ばにかけてのテレビに出現してきたホームドラマの原型になっているように思える」と述べています。それまでの生活で、主婦がキッチンでドレスを着て仕事をすることや、実用的な目的以外に夫婦で週末にドライブに出かけるようなことはなかったのです。「キッチンでこぎれいなドレスを着た主婦が仕事をしたり、夫婦でファイアーバードに乗ってドライブする」ライフスタイルそのものが、『デザイニング・フォー・ドリーム』という「夢のライフスタイルの設計案」としてGMが提示し、それをアーキタイプとして複製された数多くのホームドラマがメディアにのって流布されることで、現実のライフスタイルとして存在するようになったのです。しかも、「アメリカのあるべき未来生活」として描かれたそれはその後アメリカという枠さえも超えて、世界を席巻することになるのです。

■近代デザイン以前のものづくり

 そもそもデザインという用語が使われはじめたのはそれほど古くないそうです。1人の人間が1人でものを考案して制作してきたときにはデザインという言葉は使われることはありませんでした。デザインという言葉が使われるようになったのは産業革命以降にものづくりに分業化されはじめた頃からだといいます。
 デザインという作業がものづくりにおける他の作業から分離され、形態と内容あるいは技術はそれぞれある程度の独立性をもつようになります。作業が分離されれば、実際にものをつくる作業と、どういうものをつくるかをデザインする作業は別の場所で行うことが可能になる。いまとなって何のめずらしさもない当たり前のことですが、産業革命〜工業化以前にはものづくりはその素材となるものが生産され、かつその素材の加工技術をもった地域に根付いた産業でした。もちろん、輸送手段も限られましたから、おのずと商圏も限られました。消費者にとっても単に「買う」ということのほかに「あつらう」という購入行動がありました。ものを作る人と使う人の距離が身近で、それこそペルソナなど想定しなくても使う人の顔が見えた上でものづくりができたのです。
 そもそも、誰もが自由にものを使えるという時代ではありませんでした。社会的制度や宗教、文化によって、誰がどういうものを使ってよいかには制約があったのです。例えば、日本においても8世紀以降、中国をお手本とした律令格式があり、そこには衣服や色づかいなどのデザインに関する規制(約束事)が含まれていました。 江戸期時代になって規制の中身は変わっても、紫の服は高位の者しか身につけてはいけないとか、喪服についての決まりがありました。九鬼周造が『「いき」の構造』で明らかにしてみせたように、逆に規制があったからこそ、江戸期の町民文化に鼠色・茶色・青色を基調にした粋の文化を生み出した例もあります。制約は単に選択肢を規制していただけでなく、制約そのものが深く文化や生活様式と結びついており、それゆえに形態や色彩がそのまま文化であり生活様式である時代だったのです。

■近代デザインが理想としたユニバーサル・デザイン

 しかし、そこに近代化の流れが押し寄せます。属人的な技に頼らない生産性の高い工業生産、輸送技術とネットワークの発展がものづくりの方法を一変します。その中で先に書いたように、ものづくりという作業プロセスのなかでデザインという作業が独立性をもちはじめます。また、デザインはものづくりのプロセスから自由度をもちはじめただけでなく、自由・平等・博愛の理想を掲げる近代化の波のなかで、地域や文化、階級などに左右されることなく、誰もが自由に自らの生活様式を選択できるデザインが理想として求められます。いわゆるユニバーサル・デザインを近代デザインは目指すことになるのです。
 とはいえ、それまで文化と深く結びつく形で形態にも色彩にも制約があったものを、突然、自由なデザインでよいといわれても、すぐには自由な発想のデザインが生まれるわけもなく、19世紀のデザイナーたちは歴史主義と呼ばれる過去の歴史的様式を折衷したスタイルをとりあえずは提案していたのです。折しも博覧会と博物館の時代であり、世界をものとしてカタログ的に一覧できるようにすることが喜ばれた時代でもありました。
 そうした過去の遺産にすがることなく、まったく新たなデザインの方法が近代に生み出されるためには19世紀末以降のイギリスでのウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフト運動やフランスを中心に植物などの自然の形態を用いながらガラスや鉄などの新素材による造形の可能性を模索したアール・ヌーヴォーを待たなくてはいけませんでした。アーツ・アンド・クラフト運動やアール・ヌーヴォーは過去の様式を恣意的に用いる歴史様式、また、産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれた状況を批判するものとして、いったん産業革命や近代化によって分離されてしまった、生活と芸術の統一を目指したのです。
 しかし、このアーツ・アンド・クラフト運動やアール・ヌーヴォーが目指した生活と芸術の統一は、近代以前にあった統一とは異なるものでした。それは以前のように地域や制度に根ざしたものではなく、「誰もが自由に自らの生活様式を選択できるユニバーサルなデザインを目指すものでした。この流れがアメリカでのマス・プロダクションによる大衆文化の創出や、バウハウスにおけるインターナショナル・スタイルを生み出す近代デザインの歴史をつくっていくのです。

 次回はこのバウハウスにおけるデザインとそれに影響を与えたアメリカの家政学について紹介することにします。

【テーマ】  02ペルソナの応用

サイトインフォメーション

このサイトをご覧になるには
Adobe Flash Playerが必要です。

  • お問い合わせ
  • サイトマップ
  • サイトポリシー
  • 用語集