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ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜(1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン)
前回の「近代デザインが描いた未来のライフスタイル」では、自由・平等・博愛の近代主義の流れにのった近代デザインが、旧来の制度に縛られた生活様式から人びとを解放するために、誰もが自由に好きな生活様式を選択できるユニバーサル・デザインを理想として追求したことを紹介しました。ユニバーサルに誰もが使えるデザインを追及することは、ペルソナのようなデザイン手法が前提とする「誰のためのデザインか?」を特定するアプローチとは異なるデザイン哲学をもっています。今回は近代がユニバーサルなデザインを推し進めていく上で実際の原動力の1つとなったバウハウスでの実験的で先鋭的な試みについて見ていくことにしましょう。
■バウハウスの歴史
ご存知の方も多いと思いますが、バウハウスは1919年にワイマール国立の美術および建築に関する総合的な教育のための学校として設立されました。初代校長を建築家のヴァルター・グロピウスが務め、その後、1925年にデッサウに拠点を移したり、校長がハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエと変わったりしながらも、合理主義的・機能主義的なデザインを先鋭的な形で次々と提示しました。1933年のナチスによる閉鎖でその短い歩みを終えていますが、その後、アメリカに亡命・移住したミースがバウハウスの運動を伝えたり、初期に予備課程を担当したヨハネス・イッテンがグロピウスとの対立でバウハウスを去ったあと、後継として予備課程を担当していたモホリ=ナギが1937年にシカゴで"The New Bauhaus Chicago"を開校するなど、バウハウスが示した近代デザインの方向性はその後も大きな影響を与え続けました。
ちなみにモホリ=ナギが開校した"The New Bauhaus Chicago"は1938年に資金難でいったん閉鎖しますが、1939年”School of Design Chicago “の名で再開。その後、さらに1944年に”The Institute of Design “と改名。この”The Institute of Design”が1949年に”Illinois Institute of Technology(イリノイ工科大学)”に吸収され、現在も存続し、"Human Centered Innovation"を標榜している点は、ペルソナをはじめとする人間中心設計の変遷を考えるうえでは押さえておきたいところでしょう。
また、ヨーロッパでも、バウハウスの合理主義・機能主義的な視点が生み出した人間工学(エルゴノミクス)は、その後、イギリス・ラフボロー工科大学のブライアン・シャッケルらのグループによる研究により情報技術(IT)に対する人間工学に拡張されます。1999年にはユーザビリティなどを勉強された方にはお馴染みの” ISO 13407:1999 Human-centred design processes for interactive systems(インタラクティブ・システムのための人間中心設計プロセス)”という国際規格に結実している点も見逃せません。
ISO13407:インタラクティブシステムの人間中心設計プロセス
このようにバウハウスが提示した近代デザインのアプローチは、すでにそれがバウハウス由来であることさえ忘れられているほど、しっかりと現在のデザイン教育のなかに根付いています。そうであるからこそ、バウハウスがいったいどんなデザイン哲学を持ち、その先鋭的なデザインの原理を生み出していったのかは、現在デザインに関わる僕らも無視できないのではないかと思うのです。
■ユニバーサル・デザインとは何だったのか?
バウハウスのデザインの特徴を、現在の視点から捉えれば、合理主義、機能主義に基づくユニバーサル・デザインの追求ということができるのではないかと思います。近代デザイン史の研究家である柏木博さんは著書『20世紀はどのようにデザインされたか』のなかで、
バウハウスに代表されるモダンデザインは、地域性や言語や民族などの自然的な条件にユニヴァーサルな統一性の原理を求めるのではなく、すでにふれた近代デザインのひとつの主題でもあった抽象的な概念にユニヴァーサルな統一性の原理を求めた。
と書いています。
例えば、バウハウスの最後の校長でもあったミース・ファン・デル・ローエは、ユニット化された均質的な空間が積層し増殖する「ユニバーサル・スペース(普遍的空間)」という空間デザイン手法を確立しました。鉄やガラスなど画一的な工業製品を材料として用いてどこででも建築可能な空間を目指すとともに、柱と梁によるラーメン構造の均質性によりどんな機能でもその内部に許容できる普遍的な空間のデザイン方法を提示したのです。
このミースの考え方は、グロピウスの積み木型住宅やマルセル・ブロイヤーのユニットシステムによる家具など、ほかのバウハウスのデザイナーにも共有された考え方でした。このバウハウスに代表される近代デザインの、特定の地域や言語、民族などに固有の概念とは無関係の非常に抽象的で機械的な純粋性をもったユニットの組み合わせにより、機能や合目的性を達成していくデザインのアプローチが目指したのは、できるだけ多くの人びと、多くの地域で利用可能であるよう配慮することでした。ユニバーサルなデザイン原理の発見こそがバウハウスという先鋭的な実験の場で行われていたことであったといえます。
では、バウハウスを先鋒とした近代デザインはなぜそのような方向でデザイン原理の確立を目指したのか?
■ユニバーサル・デザインが理想化された社会的背景
柏木博さんは、バウハウスをはじめとする近代デザインが、誰にでもどんな地域でも利用可能なデザインの実現を目指し、それを抽象的な概念を用いることでユニバーサルなデザイン原理を確立する方向に向かった社会的背景として、以下のような点をあげています。
世界を安定させ統合する原理を失った近代社会。貧困と貧困による都市の病理を抱えた資本主義的な近代社会。階級的差異を消し去った平等な社会へ。そうした社会の問題とその解決の展望が近代社会では求められていた。また、19世紀以来の国民国家という言説、力を喪失しつつもいまだ普遍性を説く宗教、あるいは社会主義のインターナショナリズムなどがそれぞれ世界の統合の原理を求めていた。既存の問題全体を解決し既存の現実を変革し新たに世界を統合する理念と計画。それが近代のプロジェクトに求められていた。
こうした社会的なミッションを感じながら、バウハウスをはじめとする近代デザインは、機械的な純粋性により機能を抽象化し、合理化する方向を目指します。それは環境を標準化する方向に、部品となるユニットを規格化する方向に進むのです。
しかし、標準化や規格化は必ずその枠組みに収まらないマージナルなものを生み出してしまいます。ミースの作った鉄とガラスの建築は暑いアフリカやアジアの地域では明らかに適さないものでしたし、小学校などで使われる画一的なデザインの机や椅子はその規格化・標準化されたサイズにより、そのサイズに合わないものを異常と見なしてしまう風潮まで生み出してしまいます。
1960年代以降、ユニバーサルなデザインを目指した近代デザインはこうした面から批判に晒されるとともに急速に力を失いますが、いまここでその批判を繰り返すことは無意味です。デザインとはプロトタイピングの手法にも見られるように失敗から学ぶものですし、先にも書いたように私たちのデザインの方法はいまだにバウハウス的なものから大きな影響を受け続けているからです。
むやみにユニバーサル・デザインを批判するのではなく、その失敗の原因を理解する上でも、次回はバウハウスがいったいどこから機械的な純粋性をもった抽象化により誰もがどこででも利用できるものを作ることがよいことだと考えてしまったのかを、もうすこし探ってみることにしましょう。
お知らせ
「書籍」のコーナーでもお知らせしましたが、5月30日に私のはじめての単著書『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』が発売されます。この連載と同名のタイトルになっていますが、内容は違います。ペルソナ/シナリオ法を中心に8段階のデザインプロセスで進める日本型ユーザー中心のウェブデザインの方法を紹介。また、実際のプロジェクトで使う際にイメージしてもらいやすいよう、その具体的な進め方を、ケーススタディを交えて紹介しています。ご興味のある方はぜひ読んでみてください。
Amazonではすでに予約開始しています。
【テーマ】 02ペルソナの応用