TOPペルソナスクエア棚橋弘季(株式会社イード ) ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜(1-3.家政学とテイラー・システム)

ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜(1-3.家政学とテイラー・システム)

棚橋弘季(株式会社イード )
2008年05月14日

 前回の「バウハウスとユニバーサル・デザイン」では、誰もが使える「ユニバーサル・デザイン」、使えば生活が便利に豊かになるという「機能主義」という特徴・メッセージをもった近代デザインをバウハウスが牽引し、その方法はいまなおバウハウスの存在を意識しない人びとにも、人間工学、人間中心設計、人間中心のイノベーションという形で影響を与えていることを紹介しました。今回は、そうした多大な影響力をもったバウハウスに当時影響を与えたアメリカの家政学やテイラー・システムについて見ていきます。

■フォードに影響を受けたグロピウス

 前回、バウハウスが先鋭的に提出した近代デザインの特徴が合理主義と機能主義であり、誰もがどんなところでも使えることを目指したユニバーサル・デザインであると述べました。では、バウハウスがこの機能の合理化というアプローチを何も参照せずに独自に生み出したかというと、実はそうではありません。

 例えば、初代校長グロピウスはフォードから大きな影響を受けていました。フォードがT型フォードで実現したことを、住まいの領域で実現したいと考えていたのです。フォードがベルトコンベア生産方式でT型フォードの生産をはじめたのが1913年です。1919年設立のバウハウスは最初の時点からフォードに影響を受けていました。グロピウスは、アメリカの工業的につくられた建物の写真を収集していたとも言われています。
 また、1925年にエルンスト・マイとマルガレーテ・シュッテ=リホツキーは「最低限の生活のための住居」というコンセプトの集合住宅の計画において「フランクフルト標準」を提案しましたが、その中にはアメリカの家政学者クリスティーヌ・フレデリックの1913年の著書『新しい家事管理(The New Housekeeping)』に多大な影響を受けた「フランクフルト・キッチン」が含まれていました。近代のシステムキッチンの先駆け的存在と言われるこのキッチンのデザインは、家事の合理化による女性の負担軽減を目指したものですが、これに影響を与えたフレデリックの家事管理もフォードの生産管理同様にテイラー・システムを基礎とした「科学的な管理」という考えだったのです。

■家政学と近代デザイン

 フレデリックは1910年代に「家事労働も職業である」という考えを提唱しましたが、アメリカではすでにそれ以前に18世紀中頃には家政学者であるキャサリン・ビーチャーとハリエット・ビーチャー・ストウ姉妹が、キリスト教精神にのっとり女性が家庭を支配すべきことを主張し、家事労働の支配を通じて女性の地位の向上を目指していました。
 キャサリンは建築学を学び、女性にとって理想的な住宅としての郊外の一軒家を構想。建物内部およびキッチンは、これまでのように他の空間から切り離された(隔離された)形で家の中に位置づけられるのではなく、食事の他、何でもダイニングキッチンでできる効率のよい女性の仕事場としてデザインしました。これが「フランクフルト・キッチン」にも先行するシステムキッチンの原型と見ることもできます。
 さらにビーチャー姉妹は、家事は家族全員でするものであり、黒人奴隷を使わないことを主張したことでも知られています。ハリエット・ビーチャー・ストウは黒人奴隷問題に触れた小説『アンクル・トムの小屋』の作者でもありました。
 家政学は日本でもほぼ同時期の明治の時代に紹介されました。それが本格的にデザインと結びつくようになったのは大正に入ってからで、明治42年、アメリカからバンガロー式の組立住宅を持ち帰り、それを中流住宅として日本で販売する住宅専門会社「あめりか屋」をつくった橋口信助が、女中なしでも生活できる作業能率のよい家屋(特に台所)の改善を求めた家政学者の三角錫子との出会いから影響を受けて、大正4年に「住宅改良会」を設立するなどの動きが見られました。日本でもキーワードは「改良」や「改善」であり、その「良」や「善」の基準が生活のなか(特に女性による家事労働)の「作業能率」だったわけです。

 日本の動向に関しては、このように世界と共鳴する部分とは別に独自の面がありますので、また違う機会に詳しく論じることにしますが、こうしたバウハウスにも日本の「生活改良」の動きにも影響を与えたビーチャー姉妹の家政学と、20世紀の初頭に生産管理の方法として注目を浴びはじめたテイラー・システムが統合されたのが、フレデリックの科学的な家事管理だったといえるのです。

■テイラー・システム

 では、あらためてグロピウスやマイ、リホツキーらに影響を与えたテイラー・システムとは何だったのでしょうか? テイラー・システムとは、科学的管理法の父と呼ばれるフレデリック・テイラーが、それまで労使双方にともに経験や習慣に基づく管理や生産を行っていた状況に、客観的な基準を作ることで生産性の向上、労働賃金の向上を可能にする科学的管理法です。
 テイラーが実際に科学的管理の方法を生み出したのは1898年から所属していたベツレヘム・スチール社での生産管理の現場においてでしたが、それをあらためて1911年の著書『科学的管理法の原理』の中でまとめて提示しています。ただ、テイラーの科学的管理法は著書が提示される前年の1910年には、アメリカ東部の鉄道会社が貨物輸送運賃の値上げを要求した事件をきっかけにアメリカ全土にすでに広まっていました。フレデリックが家政学に科学的な管理法を取り入れたのもそれ以降だったのでしょう。先にも書いたとおり、フォードがベルトコンベア方式の生産を開始するのも1913年です。

 俗にテイラー・システムと呼ばれるテイラーが主張した科学的管理法は「課業管理」「作業の標準化」「作業管理のために最適な組織形態」の3つの原理からなり、中でも「課業の設定」「諸条件と用具等の標準化」などを含む「課業管理」がシステムの中核を成しています。
 「課業の設定」は1日のノルマとなる仕事量を設定することで、「諸条件と用具等の標準化」は使用する道具や手順などを標準化することを指します。フォードはこれに従い、労働時間を9時から17時に定めました。仕事に従事するオフィシャルな時間とそれ以外のプライベートの時間を明確に分けたのです。いまとなっては当たり前となっている就業時間という考え方ですが、オリジナルはここにあるわけです。
 同時にそれは仕事の場とプライベートの場の分離でもあったわけですね。それまであった家内制手工業のような形態はマイナーなものとなっていきます。家と仕事場が物理的にも切り離されて、家具も家庭で用いられるものとオフィスで用いられるものとはデザインに大きな違いが見られるようになっていきます。その流れと表裏一体の形で、家政学における家庭内労働の科学的管理の導入とそれにともなう女性の地位向上が進むわけです。近代主義の基盤の1つに個人主義があるわけですが、このように仕事と家庭、公私のあいだに仕切りを設けることで、同時に「個人」というものの基盤を確立していったのが近代だったとも言えるのでしょう。

■近代デザインの終焉

 さて、ここまで3回にわたって考察してきた近代デザインのコンセプトをあらためて整理するなら、松岡正剛さんが「千夜千冊」のサイトで柏木博さんの『モダンデザイン批判』の紹介の中で書いている以下のような言葉を参照するのがよいかもしれません。
 1879年にキャサリン・ビーチャーがボストン料理学校を開校したこと、そのあとの校長のファニー・ファーマーが「すりきり一杯の計量」を提案したこと、そのあとの化学者のエレン・リチャーズがアメリカ料理を工夫して「ランフォード・キッチン」を提案したこと、一方でミース・ファン・デル・ローエが都市の均質空間を求めてユニバーサル・スペースを計画したこと、ヘンリー・フォードがT型フォードを実現したこと、そしてハーバート・バイヤーが「ユニバーサル・タイプ」というタイプフェイスを発表したこと、これらに共通するものがモダンデザインのコンセプトなのである。>

 この引用部のすこし前に<近代資本主義がつくった「もの」は最初から「広告」なのだ>と書いているのが示唆的です。誰もが使え、使えば生活が便利に豊かになるというユニバーサル・デザイン、機能主義といったコンセプトに基づく「もの」はそれが生み出されると同時に「広告」化しているというのです。これは前々回の「1-1.近代デザインが描いた未来のライフスタイル」で紹介したGMの『デザイニング・フォー・ドリーム』に連なる流れを考えれば納得できるものではないでしょうか。

 こうした生活の改善・改良といったコンセプトをもった近代デザインも1960年代以降には批判が見られるようになります。1つはユニバーサル・デザインが抱えた矛盾としてある、標準化・規格化がその枠組みに不適応なものを異常として排除してしまう傾向があることに対して。もう1つは大量生産によって生み出された消費社会の行き過ぎに対して。しかし、そうした批判自体も情報社会化が進むにつれて顕現してきたポストモダンと呼ばれた社会においてはそれ自体、「もの」同様に情報化=広告化してしまい、膨大な情報のなかで無効化されてしまいました。もちろん、近代デザインが目指した「理想の生活」といっしょに。
 すべてが雲散霧消してしまったのが現在なのかもしれません。しかし、実際は何も無くなったわけではなく「もの」も「思想」も霧状に明確な形を示せぬまま存在しています。すべてがバラバラの記号=情報として浮遊するだけで、線となって生活の物語を語ることができなくなっているのが現状でしょう。

 ここまで海外を中心に近代デザインの流れを見てきましたが、日本はいったいどのような道を辿ったのか? 次回からは日本のものづくりの歴史を辿ってみることにします。

【テーマ】  02ペルソナの応用

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