TOP関連コラム高井紳二(同志社大学商学部) ペルソナの「いろんなところ」への活用思案(2.日本的な心とペルソナ)

  • 高井紳二(同志社大学商学部)
  • 同志社大学商学部教授

ペルソナの「いろんなところ」への活用思案(2.日本的な心とペルソナ)

高井紳二(同志社大学商学部)
2008年07月17日

■「思いやる心」とペルソナ

 日本人にとってペルソナ思考は得意な分野であるといえる。世の中をひっくり返すような発明が、顧客の想像を超えたものを作り上げることであるのに対し、ペルソナの重要な要素であるユーザー志向の原点は、改良や改善にある。この改良や改善こそが日本人の得意とするところだからだ。

 たとえば、製品の作り込みにおける品質管理を考えてみよう。これは工程のなかで次工程や前工程のことを理解したうえで、そこで瑕疵がないかを作業として点検することである。これが次々と行われることで、モノを作る各段階で品質チェックが重ねられる。この作業は、次の作業者のことを十分に理解するという多能工的な意味合いだけではなく、他人の作業を考えるという思いやり的な意味合いも強い。そして、この動きが改善の意見提案に結びつく。

 日本の社会全体もまた、同じような動きに満ちている。町にあふれるさまざまなカンバンや注意書き、店舗での案内や棚割への配慮、電車に乗ればたびたび繰り返されるお願いと注意がそれだ。外国では自分の責任と考えられていることが、日本では相手への思いやりから行われている。製品に見られる細かな工夫もしかりである。このようなきめ細かい思いやり精神がペルソナを考えるときの重要な要件となる。

■思いやりによる経験や物語の共通理解

 思いやる心は、ペルソナで要求される経験や物語性という概念においても重要である。
 経験とは人間が覚えている楽しい事や共感した体験であり、それらは人間の中に価値の積み重ねとなって残っている。楽しかったことや悲しかったことは、思い出となるだけでなく、自分の生き方に大きな影響を持つ。「ア・ハァ」体験が脳に記憶されると、類似の体験を繰り返そうとしたり、他人にもそのような経験をしてもらいたいと思ったりするものだ。自分にとっての嬉しい体験を他人にもすすめるというのは、一種の思いやりであるといえよう。同質的な社会や思考が多いといわれる日本人は、この点でも他人を思いやることが得意なのだ。

 価値観や経験が多様であると、ペルソナの物語を理解する前提としてさまざまな情景が必要となる。これに対し、日本のように同質的な社会では、少ない前提で物語の共通的な理解が可能になる。思いやる行為が受け入れやすく、さらに思いやる行為を助長する傾向があるためだ。思いやることが好きな人が多いことのメリットといってもよいだろう。

■思いやりを形式化するために

 日本企業には、思いやる心の文化が十分に根付いている。このおかげでペルソナメソッドを受け入れやすい。ただ問題は、これらを構造化したり、ルーティン化する方法や手段が明確にされていないことである。製品開発やマーケティングにおける手法では、顧客の位置づけ方法に日本的なよさのシステム化やルーティン化が行われていない。

 千利休の言行録「南坊録」に「暁の茶会」のことが書かれている。ある日、面白く雪が降り積もった日に、利休がこのような日には友人がきっと茶を楽しみするに違いないと思い、夜中に精の澄んだ水を汲む。飛び石の雪を溶かし、垣根の扉をあけて、暁に茶席の準備をし、宗及らと茶席を楽しむ。互いに思いやる気持ちが通じるというものであるが、茶の準備はこのような配慮からできている。日ごろから顧客の楽しさの体験を理解して、自ら進んで応対することが、茶の世界では景色、花、雰囲気としての釜の音や手前として表現されてくる。このように相手への思いを形式化する行為は重要だ。企業行動において、思いやるための仕組みが組織の中に組み込めるか。このための第一歩が、ペルソナというユーザー像を各員が鮮明に持つことである。

■専門知識とシナリオの多様化は比例する

 何事も客観的な理解と主観的な理解の2つの側面から把握されるものである。客観的なデータだけで判断しがちだと思っても、その客観的データと信じているものの中にも主観的な判断が多く含まれる。主観的な判断は個々人の経験や知見によってさまざまに変化するが、この広がりこそがアイディアを豊富にすることにつながる。

 ペルソナのシナリオを考える場合には、できる限り多様なシーンを想定することが重要だ。客観から描かれた範囲におけるシーンの創造という行為の中で、主観が深く掘り下げられていく。この人ならばこうするに違いない、こうしたがるはずだといったシーンを想定するわけだが、このときに自分達ができることをどこまで織り込んでいるかも、また問題となる。ユーザーのシーンを想定するときに、現状の技術では不可能なことを織り込むような発想ができるかということである。

 高度な技術の可能性を想定できる人と、できない人の間にシーンの想定の違いが出てくるのか。たとえばM・ポランニの暗黙知からみると、専門的な知識が豊富であれば高度にシーンを描くことが出きるだろうし、専門家同士の集合であればより豊富なシーンやあらたな組み合わせのシーンも想像可能だ。先ほどの茶の例は、互いが高度な専門家である事が前提になっている。このことはユーザーの多様なシーンを考えるときに製品として実現する技術について専門的な知識や経験を保有することの意義を考えるきっかけともなるし、その専門家がユーザー志向にするために技術の機能化へ柔軟な対応をとれるかを見ることへもつながっていく。

■製品開発におけるユーザー志向

 ユーザー志向の専門家といわれる人々はどのような人であろうか。科学者、技術者、マーケティングの担当者、製造技術者、WEB担当者、システムエンジニア、経理財務担当等々と多くの専門家が企業内に存在する。これらの人々が全てユーザー志向であることは重要であるが、ここでは製品開発に限って考えてみよう。

 製品開発においては、製品の企画、実際の開発、製造、部材の調達、マーケティング、販売、サービスの担当者が主たるメンバーである。しかしここで大きな問題が生じてくる。これらの人々は自分の専門領域の専門家で、ユーザーのための専門家ではない。どれもユーザーの一側面の専門家に過ぎない。したがって、ユーザー志向を実現するには複数の専門家が集まって思考を重ねる必要がある。

 しかしながら、ユーザーを理解した製品つくりの可能性がわかったとしても、今度はそれが売れる製品になるかという問題が出てくる。多くの企業はペルソナを作らなくても、できる限りのユーザー志向を試みて製品つくりを行っている。ところが、それらが必ずしもヒット製品になっていないのが実情である。では売れるユーザー志向とはどのようなものなのだろうか。ペルソナを作ることでヒットする製品つくりが可能になりやすいのだろうか。次回はこの点から考察する。

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